ネパール

ネパール30days 6日目 GenZ革命が起きた日

こんにちは、ひまわりんです。
今日はネパール滞在6日目について書いていきます。
あの革命が起きた日のことです。
旅行者目線で記録していきたいと思います。

ネパール6日目、2025年9月8日

この日はカトマンズ最終日。
翌朝にチトワンへ移動の予定です。

この日の予定は、ざっくりとですが、
朝から昼過ぎまでバクタプルへ。
その後夕方前に一旦パタンの宿に戻り、ネパールに来ているインド人の友人とパシュパティナート(ヒンズー教のお寺)で日没前に落ち合う。
という予定でした。

がしかし、あの大抗議デモ(ネパリの間では革命と呼ばれています)が起こったのです。
 

ネパールの小京都バクタプルへ

私はこの日朝からBhaktapur(バクタプル)に来ていました。
バクタプルは、宿のあるLaritpurの Patan(パタン)からおよそ13km東に位置しています。
バイクタクシーで30分くらいかかりました。

入場料は1800NPRと聞いていたのに、2000と言われたので「え?」と尋ねると、2025年9月から値上がりしたそうです。
確かに右上に2000NPRとあります。

正直、ネパールでは入場料が高すぎる・・・と思うところが多い中、ここと前日のゴールデンテンプル(100NPR)はその価値はありました。

ちなみに入場料については、どこの施設においても、チケットゲートみたいなものがないところがほとんどです。見た目に明らかな外国人は呼び止められて、チケットブースに連れて行かれてチケットを購入するというケースが多いです。

マサラオムレットとカプチーノで朝ごはんを食べた後、バクタプル観光開始です。
 

案内ガイドは迷わず依頼しよう

日本語を話すガイドなら1000NPR、
英語ガイドなら800NPRということだったのですが、
交渉して英語ガイド500NPR(約2時間)ということでお願いしました。

ガイドはつけることをお勧めします。
彼らの専門性は非常に高く、知識も豊富です。
何を質問しても、かなり高い精度で返してくれますので大変頼もしかったです。
15分くらいほどして、「この人には1000NPRは必ず払おう」と決めていました。

ただし、ガイドはきちんと資格と許可を持ったガイドに依頼するようにしてください。
エリア外でもガイドの勧誘があると思います。
ですが、ゲートを潜った先で下記IDを持ったガイドに依頼してください。

見どころ盛り沢山

想像以上に見所がありすぎて、簡単に回ろうと思えば2−3時間で済みますが、それではもったいないです。
タメル(Thamel)地区で過ごすくらいなら、バクタプルで1泊するのもありだと思います。

55 Window Place 
ネワール建築の55窓の宮殿

1769年まで実際に王宮として使われていた建物で、55個の窓を持つユニークなデザインが特徴のこちら。
外からは中が視えませんが、中からはしっかり光も採りつつ外も視えるという仕組みだそうです。
木彫りの窓がとても美しい。
この宮殿を囲むように多くの寺院が建てられています。

こちらは王宮の入り口です。
ガイドさんが撮ってくれました。

全体的にネパール人が憩いの場として使っている印象で、外国人観光客はほとんど見かけませんでした。
やはり9月初旬はオフシーズンですね。
ガイドさんたちも暇そうでした。
 

絶品!jujudhau (ジュージューダウ)王様のヨーグルト

juju(王様)
dhau(ヨーグルト)
で王様のヨーグルトと言います。

水牛のミルクで作られた濃厚でクリーミーなヨーグルト。
世界各国で食べてきたヨーグルトの中で一番美味しかった。
今のところ、私の人生の中でベストヨーグルトです!
 
水分が少なく、ギリシャヨーグルトとも違うのですが、なんというんでしょう?
実に美味。甘さとクリーミーさが絶妙でした。
濃厚な器を逆さまにしてもこぼれず、素焼きの器が水分を吸収することで固めの仕上がりになるそうです。。

普通お代わりする人はいないみたいだけど、二つ頂いちゃいました。
美味しかったー!
この味は忘れられないです。

 

15時ごろ異変に気づく

結局、隅から隅まで案内していただき4時間ほどが経過。
「疲れたのでビールでも飲みませんか?」
と提案されました。

「え?職務中に良いの?」
「別に関係ないですよ、今日はお客さん自体も少ないし、この後ガイドしないし」
てなノリで。

じゃあ飲みましょう、ということで。
ここまで懇切丁寧にガイドしてくれたお礼だと思って私がご馳走するつもりでした。

がしかし、最終的に先ほどのジュージューダウとビールはご馳走になってしまいました。
ありがとうございました。

で、まあいろいろとビールを飲み、Momoを食べながら、ネパールのことなどなどいろんな話をしていたら、突然「どうもカトマンズの様子がおかしい」と連絡が入ったようでした。
このとき私にも、ネパールの日本大使館から下記メールが一報として入っていたことに気がつきました。
これは現地時間の13:55でした。

何やらただならぬことが起きているような予感はありましたが、まだ自分が帰れなくなるとは思っていませんでした。
ところが、ガイドさんが色々確認してくれたところ、今いるバクタプルや私の宿のあるパタンは大丈夫だが、そこまでの道は通れない可能性が高い、ということでした。
私も少しバクタプルに留まって様子をみることにしました。
したがって、夕刻に予定していたパシュパティナートには行けそうにないことが明らかとなりました。

この後、会う予定にしていた友人と連絡を取り、今日は取りやめにしようと伝えたところ、その友人は事態についてまだ把握していないようでした。
ということでこの時点では、人によって情報の温度差がありました。
 

衝撃的な大使館からのメール

すごいなと感じたのは在ネパールの日本大使館から都度知らせの入るメールのスピード感です。
現地メディアよりも早いくらいのスピード感で伝えてくれていたので大変助かりました。

17:15に受け取った続報メールが下記内容です。
このときも私はガイドさんとビールとMomoでおしゃべりをしていました。
なんと死者まで出ているというではありませんか。
衝撃でした。
そして、頭の片隅で、SNSは使えなくなるわ、甚大な抗議デモは起こるわで、この旅は続けられるのか?という不安も芽生えました。
 

翌朝にはカトマンズを出て、チトワンに移動する予定だったので、バクタプルに泊まるわけにもいかず、今日中にパタンに帰りたいけれど、今はもう少しここにいたほうがいい、とみんなに言われて、とどまることに。
 
結局、バクタプルを出たのは21時半ごろです。
21時頃、連絡を取り合っていた宿のオーナーが
「今からならパタンから迎えに行ってあげるよ」
と言ってくださったのですが、ちょうどその頃からタクシーが捕まるようになってきていたので、自力でバイクタクシーで帰りました。

てか、宿のオーナー、本当に優しすぎませんか?

帰りもバイクタクシーを使いましたが、少し中心部を避けて帰るような形を取ってもらいました。
車もバイクも人も少なくて外出禁止令が出ているんだなと実感しました。

ともあれ、無事にパタンへ帰宅。
とはいえ、翌日がもっとすごい状態になるなんて、このとき私は予想していませんでした。

7日目の日記に続きます。

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