ネパールの伝統文化、生きる女神Kumari(クマリ)のことをご存知ですか?
今回、ちょうどインドラジャトラというカトマンズで年に一度行われる大祭(Yenyā)を見ることができました。豊穣の神インドラを祀るとともに、生き神様「クマリ」の山車巡幸が行われています。
年に一度、「クマリの館」からお出ましになるクマリ様を誰もが一目見ようと殺到します。
館に行けば、決まった時間に窓からお顔を覗かせてくれるクマリ様を見ることはできますが、クマリが館の外に出てくるのも、また撮影もできるのはこのインドラジャトラ(クマリジャトラともいう)の年に一度だけ。
すごく神秘的な素敵な伝統だと感じたとともに、複雑な思いがなかったわけでもありません。
その背景を少しでも垣間見ると、現代を生きる日本人なら単純に「すごい」という感想と同時に「これは児童軟禁なのでは?」など疑問も浮かぶと思います。
ちょっと共有させてください。
ネパールの生き神クマリとは?
クマリは「生き神」と呼ばれる少女で、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーの化身とされています。
Kumariとはサンスクリット語で「少女」や「処女」を意味します。
ネワール仏教徒の中から選ばれ、満月生まれで初潮を迎えるまでの間、神として崇拝されます。
クマリに選ばれるには、32におよぶ厳格な身体的条件を満たし、星の相性なども考慮されるそうです。
通常3〜5歳で選ばれ、カトマンズの「クマリの館」に住み、フェスティバルのとき以外は外出せず、感情を表に出さず生活します。
泣くことも、笑うこともダメだそうです。
初潮を迎えるとクマリの役割を終え、俗世に戻りますが、近年月経を迎える事なく成人したクマリがいて高齢になってもその地位を保っているクマリもいるそうです。
クマリ信仰はネパール独特の伝統文化であり、街や村ごとに存在するローカルクマリもいるということですが、カトマンズ、バクタプル、パタンのクマリが3大クマリと言われています。
かつては王もひれ伏した生き神クマリ
かつては王もひれ伏し国の守護神としての役割を持ち、人々の願いを叶える存在で、秋の大祭インドラジャトラでは中心的な役割を果たします。
ネパールの宗教的な融合を象徴し、ヒンドゥー教と仏教が共存する文化の象徴的な存在がクマリと言えそうです。
実はネパールには王宮が2008年まであった
2008年の5月に王室が廃止されるまでは、初秋の大祭インドラジャトラのときには、国王はクマリの館を訪れ、クマリにひざまずいて祝福のティカを受けていたそうです。
つまり国王よりも、神様であるクマリの方が上位なわけです。
クマリと王族衰退にまつわる逸話
この話はローカルのネパール人から聞いた話です。
多少の理解の齟齬があるかもしれません。
2001年のネパール王族殺害事件というショッキングな世界的なニュースがありました。
2001年6月1日、当時のディペンドラ皇太子が、父親であるビレンドラ国王ら9名の王族を殺害した「ネパール王族殺害事件(ナラヤンヒティ王宮事件)」です。
この事件の3日前からカトマンズに住むロイヤルクマリは涙を無言で流していたそうで、何かとんでもない不吉なことが起こるのでは?と言われていたところ、4日目に事件は起きたのだそうです。
多少の着色があるのかもしれませんが、なんとも・・・な話です。
クマリの厳格な風習

上の画像は2025年9月6日のインドラジャトラ初日に撮影したものですが、見えますでしょうか?
赤い靴下に覆われて投げ出されような格好になっている2本の足。
そう、クマリは神様なので地に足をつけてはいけないとのこと。
生活は全てお付きの人が抱えて移動させるとか。
とはいえ、現在は人目のないところでは歩いたり運動しているのでは?と想像します。
けれども、厳格に風習に則っていたとされた昔は、クマリの役目を終えていざ人間として生活を始めても、うまく歩けなかったり、幼少期の不適切な(人間としての)生活により身体機能のみならず、精神的にもうまく順応しなかったりで、任務を解かれたあとはあまり幸せな人生を送れなかったとも聞きました。
クマリのお顔や衣装、そして佇まい

クマリのお顔には独特な額から鼻筋にかけて赤い化粧が施されていました。
上の画像は最後にお出ましになったロイヤルクマリ。
山車の大きさも桁違いですし、乗っているお付きの男性(?)の数も相当でした。
お衣装も赤と金をメインとした豪華な装い。

こちらが二番目にお出ましのクマリ。
このクマリはわりと手の動きが多くて、しかもお付きの人とよくお話しをされているようにお見受けました。
お化粧とお衣装は赤が強めでした。

上の画像は一番はじめにお出ましになったクマリ。
パタンでしょうか?バクタプルでしょうか?
お化粧やお衣装は豪華さに差があれど同じ系統です。
今回このような写真が撮れたのはある方のおかげ
以上、3名の生き神クマリ様を運よく拝むことができました。
当初は大雑踏の中にいたのですが、急に腕を掴まれ「ネパール人?」と聞かれ「いえ、日本人です」と答えると、ある場所に連れて行かれ、「ここで見学していいよ」と。
他にも外国人は周りにいたのですが(革命の前々日なので)、なぜ私だけ?と疑問は持ちつつ、ありがたくそちらで見学させていただくことに。
民族衣装クルタを着ていたこともよかったのでしょうか?
この案内してくださった方がどういう方なのか、一緒に会場まで行っていた宿主にも聞いてみたのですが、わからないままです。宿主ご家族とは、山車の巡航が終わって別の場所で落ち合いました。
本当にありがとうございました。

ちなみにクルティ(クルタ)を着ていると、やはりネパール人に優しくしてもらえますし、値段をふっかけられることも減る気がします。
インドでもそうでかも。
何より男女問わず「ビューティフル!!!」って言っていただけます。
文化をリスペクトするって大切ですね。
次はこの日、4日目のことを書いていきたいと思います。
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