人間って強くて、でも儚い
三浦春馬さんの訃報を聞いたときは、
夢が現実か正直分からなくなりました。
今でもなんだかよく分からない感じ。
私的には、アイドル岡田有希子のとき以来の超絶インパクトで、哀しみを通り越して空虚な状態です。
今だからの告白だけれど、ひまわりんは30歳のとき、会社でとても辛い状況にあり、会社の最寄駅で何度か線路に吸い込まれそうになったことがあります。
でも、そこで留まったのは、
「いやいや、死ぬのなら遺書に自分を苦しめる人のことを書き綴ってからでないと!」
という思いから踏みとどまったんだった、なんてことを思い出していました。
今思えば、そもそもそんな線路に吸い込まれそうになるという自分をとても不思議に思うのだけれど、確かに当時はそう思ってしまったことがあったのです。
それに、当時は誰にも話せないでいたと思う。でも、明らかに様子がおかしい私を会社の先輩が気遣ってくれました。あの支えはとても大きかったと思う。諸悪の根源からちょっとだけだけど引き離してくれる手助けをしてくれました。
今またその人の近くで働いているけれど、当時ほどのストレスはその人に対してはさほどない。ある程度免疫ができたのだと思うし、自分も良い意味で逞しく、そして厚かましくなったのでしょうね。
私は、当時、
「死にたい」と思ったわけではなく、
「消えたい」と思いました。
これは似ているようだけど、一緒ではありません。
そして、この「消えたい」と思ったのは人生の中で後にも先にもこのときだけ。学生のときも、そんなことを思ったことなかったし、今、仮に、死ぬほど辛いことがもしあったとしたら、全部放り出して、海外にでも行こうと思う。逞しく、そして厚かましくもなりました。
でも、30歳の時の私は一瞬でも、このまま消えていなくなりたい、と真剣に思ったことがあるのです。
誰もがそうなり得る可能性を持っている、と思うと人間もなんと儚いものかと思う。
心奥深くに大きな穴ができてしまった感じ。
特に自分より若い人のこうした報せを聞くのはかなりしんどいです。
どうか安らかにお眠りください。
昨日の食事記録
<あとがき> このことに触れまいと思っていたのだけれど、涙が出るわけでもなくもやもやの行き場がないので、書いてカタルシスしてしまいました。
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